読書メモ - 社会を知るためには

シェアハウスのルームメイトが引っ越して出ていくときにもらった本。

要約

この本は、何かの政策の提言とかをしているものでもない。

社会の見方のひとつを紹介している。 そしてその社会にどう対処したらよいか?を述べている。

内容

第一章 「わからない世界」にどう向き合うか

本書は

世界は私たちが思っているより「わからない」ものである

世界は私たちが思っているより「緩い」ものでもある

という主張から始まる。

第一章では、上記の二つの特徴が現れる例示を示すとともに、 世界を「わからない」状態にしてしまっている下記の3つの要因を解説している。

  • 専門知
  • 拡大する分業
  • 変化し続ける社会

1 世界は思っているより「わからない」(13)

私たちの生活は「知らないこと」、「意図していなかったこと」、「予想外の出来事」から大きな影響を受けている。 この社会で起きている問題のほとんどは誰かが意図的に引き起こしたものではない。 少子化問題は誰かによって引き起こされた問題ではない。

2 世界は思っているより「緩い」(16)

社会を構成する要素はきちんとした形ではつながっていない。これをつながりが「緩い」と表現している。「緩い」つながりの例として二つを挙げている

例)仕事、豊かになるための分業。

  • 協業のシステムと分配システムのつながり
    • 会社の給与水準とかあるが、それが適正である保証はない
  • 窃盗と給与格差の理解のされ方の違い
    • 窃盗は犯罪になるが、同一の労働だが正規雇用と非正規雇用の給与格差があることには、人々の捉え方は違う

3 専門化する社会

わからない社会になってしまう一つ目の理由が

「専門知識」や「専門的な枠組み」に取り囲まれている

ということ。

近代以降、専門知識は枝分かれし、その中でどんどん高度化してきた。その知識を反映したシステムや仕組みが私たちの生活の土台になっている。 例)金融システムや会計の仕組み、医療など。 身近な制度に関しても専門的過ぎて理解できていない。

4 「わからないこと」が増えていく

専門知識を勉強すればどんどんわかるというふうにはできていない。 むしろ専門的な学問が発達すればするほど、世の中はどんどん複雑になり、「全体的によくわからないもの」になる。

個々の専門知・専門システムはたいていは世の中をより良くしようという目的で作られる。 例えば、自動車保険の仕組みは素人には容易に理解できないが、そのような複雑な仕組みを導入することで私たちの生活の安心はある程度確保できる。その反面「よくわからないもの」に取り囲まれる。

5 絡み合う社会

わからない社会になってしまう二つ目の理由は

分業の拡大

ということ。

学問が発達するにつれて、「知らないこと」が減って予測不可能な出来事が少なくなる、というふうにはなっていない。 (そうであれば、リーマンショックも起きていないし、地球温暖化も緩和されているはず。)

  • 専門的な知識やそれを活かした仕組みが、周囲から独立して存在しているわけではないから。
    • ある国の金融システムはその国の政治や別の国の政治・経済と複雑に絡み合っている。その絡まりを理解するのは非常に困難。ある分野での専門家は別の分野では素人だから。
  • 分業が発達してきたから
    • ある分野での影響が、よくわからない理屈で私たちの生活に影響するリスクが高まる。(分業とグローバル化により、服やスマホは安価で手に入るようになったが、遠い国の金融危機により苦しい思いをした)

6 動き続ける社会

わからない社会になってしまう三つ目の理由は

社会が動き続けていて、私たちはそこに投げ込まれている

ということ。

私たちは止まることのできない自動車に乗っている。しかもその自動車は徐々に中身が変化してしまう。またさらに、その自動車は中身を「知る」ことによっても中身が変化してしまう。 そんな中で自動車に不具合が起きた場合、運転を止めずに対応するとしたらできることは限られる。

よくわからないが、専門的な知識で仕組みが組み合って動き続けているこの乗り物に乗って生活しているようなものだ。

  • 動いているシステムをいじることは難しい
    • システムというのは構築するときよりも更新するときに問題が発生しやすい。
    • 複雑な仕組みに介入して環境を変えようとすると、しっぺ返しを受けることがある。
    • 例)みずほ銀行の勘定系システムの修正。毛沢東の「四害駆除運動」。
  • 社会を観察・説明することは難しい
    • 私たちが作った社会(箱)の外に出て、その仕組みを観察し説明することはできない。暗い箱の中を小さなライトで照らすことしかできない。
    • しかも、光を照らすこと(知ること)によって箱の中身が変わってしまうことがよくある。私たちの知的活動は、意図しないやり方で知ろうとしている社会そのものを変化させてしまうから。

7 自分たちで作り上げたよくわからない世界

人間とは、自分たちで作り上げた、なんだかよくわからない環境の中で生活する存在であり、人間社会とはそもそも「わからない」ものだ。

「社会のことについてはわからないことだらけ」であり、「わからないことはなくならない」という出発点に立った方が、よりよい社会認識をできる。

8 本書について

この本においては、「社会」≒「世界」というとらえ方で進める。

共通要素を持った人々の集まり(集団・組織)が、複数集まってできたものを「社会」と呼ぶ。 社会は人々が作った世界。

第二章 専門知はこうしてつくられる

前章で「わからない」世界の一つの要因になっている「専門知」について掘り下げる章。

  • 「専門知」は社会から切り離されて構築されるが、 しかし同時に、社会は「専門知」に基づいた無数の仕組みによって成り立っている。
  • 学問には「専門知」を構築し、「専門知」を理解するための概念とか方法がまとめられている。 しかし、学問毎に社会(現実の対象)との距離は異なっている。
    • 例)経済学は社会との距離が遠いが、社会学は社会との距離が近い。
  • 社会学の特徴は、世界をそのまま理解しようとする立場
  • 哲学における存在論と認識論という考え方がそれぞれ社会学に影響を与えている
  • 複雑で変化に富んだ現代社会で求められているのは、正しい知識ではなくて、認識の仕方の議論である。

1 社会と切り離される専門知

学問分野というのは、独自の理論、方法、「問いのシステム」を持っている。 研究者はその枠の中で謎や問題を解き明かせる。 自分の土俵にあげたうえで勝負する。

経済学は、土俵の知識体系が複雑な学問の例である。 社会学は経済学より専門化の度合いが小さい。

【専門外の人間は、専門分野の枠を理解せず(理解できず)に専門家に問いかける。それゆえ、枠の中で有効な答えを受け取っても理解できない。】

2 社会をかたち作る専門知

専門知は社会とつながりを持っている。 社会は専門知に基づいた無数の仕組みで成り立っている。 例として、 - 各国の中央銀行や、IMF国際通貨基金)はマクロ経済学という専門知識をもとに運営されている。 - 政治学の理論をもとに、政治のあり方が決まっている。

など。 こうした仕組みは緩くつながっている。 政治の影響で金融システムがうまく機能しなかったり、少子化に歯止めをかけようとして導入した政策がうまくいかなかったりする。

専門知が 「社会から切り離されている」ことと、 「社会とつながりを持っている」ことが 社会をわかりにくくしている。

3 自分の土俵をつくらない学問

社会は専門知の組み合わせによって成り立っているが、 学問によっては、専門化の度合いが大きい学問もあれば、小さい学問もある。

社会学は経済学よりも専門化の度合いが小さい。 社会学は自分の土俵を作らないところが強みでもあり、そうあるべきである。

社会学と、経済学をはじめとする通常の学問の違い。

  • 経済学や通常の学問では、「まだ知らないこと」は自分たちが展開する専門知の先にある。
    • 【自分たちの理論を駆使して、まだ知らないことを解明しようとする】
  • 社会学は、「まだ知らないこと」は対象の側にあり、対象の方がむしろ専門家よりもそのことを知っている
    • 【自分たちの理論を使わず、対象に近づく?移民の問題は移民の当事者に聞いてみないとわからない?】

未婚化・晩婚化の説明

ゲイリー・ベッカー 経済学の理論枠組みを経済現象以外に適用した 「人々が効用(幸福、利益)を最大化するように行動する」という経済学のひとつの見方を説明した 分業が結婚のメリットだと考える。分業することにより(男性が稼ぎ、女性が家のことをする)、効用が得られる。 男性・女性ともに働き始めると結婚のメリットが小さくなる。

社会学ヴァレリー・K・オッペンハイマー 「もっと他に考えるべき、背景の社会変化があるのではないか」という出発点からかんがえた。 人々のキャリアの不安定さが影響している。職業が安定化するまでに時間がかかる。 仕事が安定化した後に結婚しようと考える。

4 社会全体の理論―――グランド・セオリー

社会学は一見相反する二つの方向性をもっている

  • 社会についての壮大な理論を構築しようとする方向性(理論社会学)
  • 人々の生活に寄り添って研究しようとする実証的な方向性(経験社会学

理論社会学者は「なぜ社会はよくわからないものなのかを考える」 経験社会学者は「社会というのはよくわからないものである。その前提で問題・課題をとらえて考える。」

理論社会学とそのほかの自然科学のアプローチの仕方の違いがなんかぼんやりしている。。。】

5 哲学の動向と社会学

哲学には存在論と認識論という二つの立場があるが、どちらも社会学に影響を与えている。

存在論

物事が存在するとはそもそも何なのか?を考える立場。古代ギリシアで生まれたが、ハイデガー(1889-1976)により新しい形が提示される。

存在論を土台にした理論にデギンズの構造化理論がある。 「私たちはすでに構築された社会環境に投げ込まれている(【しかし、その社会環境は人々の行為によって変化していく】)」 という考え方を持つ。

存在論は、社会が個人に及ぼす影響と、その社会が変化していく仕組みを考える視点を与えた。】

認識論

人は物事をどうやって知るのか?を考える立場。そこから、正しい認識(知識)を得るためにはどうすればよいか?を考える。デカルト(1596-1650)以降に哲学の主流に。

基礎付け主義・・・哲学(認識論)の用語

認識論は、社会をどのように認識し、どのように理解し、どのように生きていくのか?(p.73)を考える方針を作った。

6 社会の認識は、社会のあり方の認識に依存する

認識論が社会学に与えた影響の詳細な解説。

哲学の認識論が提供したやり方で社会を認識するのではなく、社会の認識論を考えるのが社会学の一部。

私たちは非常に複雑で変化にとんだ現代社会に生きている。その中では、 「どうやったら社会についての正しい知識にたどり着けるか」という問いは説得力を持つことができない。 -> 認識論における基礎づけ主義は、哲学が発展するにつれて徐々に立場を弱くしてきた。(71)【仮に、正しい知識を得たところで社会が変化するから意味を持たない?】

求められているのは、社会に起きる問題をその都度認識し、解明していくことの連続の中で、どのように認識し、どのように理解し、どのように生きていくのがよいか?の方針を議論すること。 → 認識論を利用して正しい知識を得ようとするのではなく、社会に対する認識論自体を考えること。

第三章 変化する社会をどう理解するか

本書の目的の一つは、よくわからない社会に対し、どんな心構えを持つべきか?を考えること。 そのために、「どうして社会はよくわからないものになったのか」を理解する必要がある(これについては第四章で解説する)。 そのためにの準備として、社会学の知見を用いて社会の構造と性質を解説する章。

1 「すでに作られた環境」に投げ込まれる人間

「社会」とか「制度」は「自分たち人間が作り上げた環境」である

2 人間と社会についての二つの見方

私たちは 人々が何らかの意図をもって社会を組み立てようとしている と考えがちだが、実際は、 社会が制度がどのようになっているのかよく知らないし説明できないが、その社会や制度の上に乗っかって生活している。 そして、その状態で、社会や制度を部分的に作り変えたりする。

例) - 言語 - ひたすらに模倣を続け、習熟を重ねて習得する。習得した後はとくに意識せずに使えるようになる。 - 年金システム - 一般の人は年金システムについてきちんと説明ができない。専門家であっても、例えば少子高齢化でどれほど維持が難しくなるのかといった見込みについても意見が分かれる。

3 人間が社会を作るが…(82)

社会学は以下のような社会の側面に注目するがこれはこの学問特有な部分。

  • すでに作られている環境
  • 意図をもって作られたが、次第に意識されない環境になってしまった制度

これらの側面を説明する一つの枠組みとしてギデンズの「構造化理論」を紹介している

構造化理論(82)

「構造は条件であり、同時に結果である」 「行為が構造を再生産する」 という言葉で説明している

例)電車に乗って「通勤」している場合

  • 「構造は条件であり、同時に結果である」

    • 「通勤」という行為が成立するためには無数の前提となる制度や社会構造が必要になる 電車の運行会社の運行システムや企業経営のための経理システム、電力などのインフラ、国の経済制度… これらの制度や社会構造は、通勤する人が作ったわけではなく、すでにある制度や構造を利用している。しかも仕組みを理解せずに。
  • 「行為が構造を再生産する」

    • しかし、通勤する人がいなくなればこれらの制度や構造は存続できない。

また構造化理論では 「構造は行為の意図せざる結果として再生産される」 と考える 通勤している人は通勤の前提となる制度や構造を維持しようとは考えていない。(けど、通勤している人の存在が「通勤」を成り立たせている)

4 個人と社会の「緩い」関係(85)

構造化理論は 「社会の変化に確固とした法則性はない」 という特徴をよくとらえた理論である。

なぜ法則性がないのかといえば、それは行為と構造の関係が緩いから。 (しかし、一定の傾向性や連動性はあるのである程度は「理解」できる。)

意図しない結果 例として女性の職場進出を考える。

女性の社会進出が遅れているのは「一部政治家の価値観が古くて、女性を抑圧する制度を維持させているからだ」。 女性が社会進出したのは、「男尊女卑的な制度が撤廃されていったから」。 この説明だけを採用してしまうとそこには「緩さ」がないことになる。

意図しない結果としての女性の職場進出が進んだ事例もある。

5 副作用(92)

社会はある程度意図した方向に動くこともある。しかし仮にそうだとしても、意図せざる結果は常に生じている。 上記の例だと、戦争を起こそうとした人は確かに存在していて、その意図通りに戦争は起きている。 他方で戦争は無数の意図せざる結果を生じさせた。その例が福祉制度の充実である。

こういった結果を表すための語彙として「副次的結果」「副作用」という言葉を使う。

6 陰謀論を生み出す欲望(98)

【「緩さ」を持たない考え方の弊害としての陰謀論

この世にたくさんある陰謀論は、「目的と手段の緩みない関係」の世界を想定している。 何か悪いことが起きた時に、「なんだかわからないけどこういう結果が生じた」と考えるのではなく、 その結果を引き起こそうという明確な意図をもって行動したものが必ず背後にいる、と考える。

陰謀論が人々に受け入れられるのは、ある種の快楽に訴えるところがあるのでは?

8 「緩い」方が「科学的」?(106)

人々は思考にかかるコストを削減したがる。 わかりにくい緩いつながりを地道に認識し、理解するより、わかりやすい善悪二元論を好む。

研究者とはこの思考のコストを支払うことが仕事であり、社会科学は分かりやすい図式から慎重に距離をとるべき。

思いがけない副作用は常に起きる可能性がある

意図せざる結果のうち、

  • 副作用により意図を貫徹できないパターン
  • 意図は達成されたが、副作用が見通しにくいパターン 例)文部科学省による「選択と集中」の政策。「研究力を上げる」という目的のもとで、限られた資金を優れた成果が見込まれる分野に提供しようというもの。政策は実行されているが、目立った成果はなく、マイナス方向に動いている(人口当たりの論文数の停滞。)

一定の緩みを含みこんている知見の方が、全体としては適切な説明を与えることがある。(ギデンズの構造化理論はその理論の一つ) 【社会科学では緩みは機能する。自然科学(特に数学、物理、化学)では緩みは機能しにくい。】

第四章 なぜ社会は複雑になったのか

近代化以降の社会の変化を具体的に追いながら、研究者がどのような認識をし、どのような立場に立ったのかを解説している。

社会がよくわからないもので、見渡しずらくなった要因は以下の三つであった。

  • 社会が専門分化していること
  • 無数の専門的なシステムが絡み合っていること
  • 社会の中身が絶えず変化していること

見渡しずらさが現代社会で拡大しているが、この理由は 社会全体の規模厚みがかつてないほど大きなものになっているから。

1 社会の規模(111)

社会の規模とは、社会の空間的な広がり。 すなわち、影響を及ぼし合う要素の空間的な範囲。

この範囲は今の社会では全世界的に広がっている(グローバル化

世界同時不況の影響で、日本の若年層の就職率が大幅に悪化。グローバル

2 社会の厚み(113)

社会の厚みとは、社会の時間的な長さ。

なぜこんな習慣があるのか、だれにも説明できないような制度が積み重なっていく。 そしてその制度は作り直すことができなくなっている。

例)日本の狭い道路、【入り組んだ首都高と地下鉄】、QWERTY方式のキーボード。

社会が厚みと広がり(規模)を持つためには「メディア」が必要。 「メディア」は時間と空間を超えるための技術。 社会を観察・理解し、知識を広げるためには「メディア」が必要。

3 近代化(116)

近代化とは産業化や都市化が進むこと。

産業化とは大きな資本で大規模に生産する組織が増えてくること。 資本の規模が大きくなると分業が進む。

官僚的な仕事(規則に基づいて行われる仕事)を行う人が都市部に集まり都市化が進む 産業化が進むと都市化が進む。 【分業が進むことと都市化が進むことの関係がいまいちわからなかった。】

4 分業による連帯(119)

産業化と都市化は急激に進む、このような環境下で社会学は確立した。 社会学の古典となる二人がミエール・デュルケムとマックス・ウェーバーの二人。

「逆に考えた」デュルケムの社会の見方 デュルケムは近代社会の特徴を「分業」の在り方に見出した。

「分業」

普通であれば、同じ職業をする人同士であれば互いに理解でき、仲間意識を持ち、連帯できると考える。 デュルケムは逆に、異なる職業をする人は互いにやっていることは理解できないが、分業という協力体制があるから尊重し合え、連携しあえると考える。

「分業は『社会』そのものの存在条件である」

5 分業をめぐる壮大な意図せざる結果(122)

デュルケムの「社会分業論」という著作は、貧困の拡大や恐慌といった点を問題としている。 分業が生産力を上げるというポジティブな認識が広まった間に、貧困や恐慌という問題が顕在化してきた。

計画経済 分業の最大の問題点は「作りすぎ」や「品不足」。この問題を解決アプローチが下記の二つ。

市場経済・・・価格をつけて需要と供給の機能で調整する 社会主義計画経済・・・政府が生産量を調整する

社会主義計画経済のもう一つの特養は資産の国有化。

社会主義は分業のもたらす問題を意図的に解決しようとした試みだったが、おおきな意図せざる結果を生み出した運動であった。(社会主義を捨てたロシア。社会主義を大幅に修正した中国)

6 保守主義と理性の限界(126)

理性や合理主義には限界があると主張した人がフリードリヒ・ハイエク。 非常に頭脳明晰な人がいて、その人が社会を理想的に作り変えることができるのは幻想だ。 (社会主義が元気な時期からこの主張をしていた。) 【ナチスとかが支持を受けていたのは、市民がこの限界を認識できていなかったのも要因か?】

保守主義とは 意図や理性に対して距離を置く考えが保守主義。 理性的なな思考がすべてを説明するという立場に対して懐疑的で、急激な社会変化がもたらすマイナスの側面を強調する立場。

保守主義の代表がハイエク

7 思い通りにならない経済(129)

社会主義は意図せざる結果に見舞われて失敗したが、 資本主義・市場経済の国はうまくいったかというとそうではない。

不況と失業、格差の問題は解消できていない

分業の弊害に対するデュルケムの処方箋 「分業は、正常的には社会的連帯を作り出すが、正反対の帰結をもたらすこともある」 その現象が、 - 恐慌や破産 - 労働と資本の敵対 - たこつぼ化(専門化の弊害)

専門化の弊害は、相互に依存する生産者同士の接触が小さくなることで生じる。個人が狭く閉じこもることなく、隣接する生産領域と接触を持ち、変化を気付くことが必要。

8 官僚制(134)

たこつぼ化」についてはウェーバーも問題視していた。 官僚制化の問題について考えていた。

産業化に伴って、会社の規模や、国や政府の組織も大きく強固なものになっていく。そうなってゆく中で、無数の規則に従い、協調的に行動する人々の組織が出来上がる。

制度の枠組みの中で行動していれば安心して居られるので 枠組み自体の意味を問い返したり、殻を破ったりすることをしなくなってしまう。 この枠組みの中で惰性的に暮らす人たちのこと「精神なき専門人」と呼んだ。

精神なき専門人の何が問題か?

制度が変化する時代に対応できなくなったときに、その枠にしがみつく人たちが、変化への対応を邪魔してしまう。 自分たちが作り上げた規則や制度に縛られて臨機応変に対応できない人が増えてくれば社会がまずい方向に進んでしまうかもしれない。

9 変わってしまった世界(137)

現代人は、「精神なき専門人」の問題というよりも、 規則や方針に対してそれらを疑うことなく素直に従うことが難しい という問題を抱えている。 それは、その規則や方針が正しいものなのかわからないから。 【例えば、コロナ対策に対して、政府の方針に従うべきか否かがわからない。みたいな問題か?どの政策が有効かそうでないのかがわからないから?】

分業が進んで専門化も進んだが、専門分野同士がお互いに影響し合っているため 正しい情報・知識にたどり着くことが困難になっている。常に迷いながらリスクをとって行動せざるをえない。

私たちはみな「迷える専門人」である。

10 社会変化について考えてみる(140)

適切に社会を記述するためのレッスンとして一つの例を提示している。

それは、

特定の社会の変化を一つ取り上げて、それがどのような経緯でもたらされたかを調べる

というもの。 その際に、「意図と結果」という枠組みを意識しつつ、必ずそれにとらわれずに広い視野で考えてみる。

社会記述は、すぐに「意図」に引き寄せられやすい。 しかし、意図に引き付けた記述は厚みや広がりを考慮しない分、きわめて視野の狭いものとなる。

日本の働き方と女性活躍について説明する

日本に独特の働き方

高度経済成長期に、働き手を社内に囲い込む意図で取り入れられた「終身雇用制度」 これがもたらしたこととしては、

  • 新卒一括採用制度
    • 就職前に仕事の内容が決まっていない。研修後に配属先や仕事の内容が決まることが多い
    • これは日本や韓国だけに見られる特殊な制度
  • 内部労働市場
    • 配置転換、転勤、時間外労働といった仕組み。
    • 組織の内部で人材や労働時間を調整し、解雇を抑制しようとする役割。

このうち、内部労働市場は雇用の安定を意図したものであったが、 女性の職場参加という観点でみると、よくない影響が強くなる。

  • 異動が多く、仕事内容が変わる
    • 会社独自の事情に精通し、社内のいろんな仕事に対応できる能力が求められる。しかしほかの会社では通用しにくい能力である。
    • 結婚や出産で一度会社を辞めてしまうと、正社員として再就職することが難しくなる。
  • 長時間労働や転勤を要請することが多くなる。
    • 主婦や主婦パートの存在を前提としている
    • 転勤してもついてきてくれる。長時間労働後の家事をやってくれる。

社会を記述しようとすればこれほど複雑になるのは当然である。 多くの要因に目配せをして、広い視野で社会をとらえる必要がある。

第五章 変化のつかまえ方(147)

前章の最後で実演した、「社会を記述する」ことを掘り下げる章。

1 社会を記述する(147)

社会科学分野の研究者は 社会がどんな状況にあるのかを記述し、何か問題がありそうならその原因を突き止めようとする。 社会科学研究者は、社会についての医者のようなもの。

社会科学の研究者による「記述」とは、 様々な指標を開発し、客観的なやり方で測定すること。 (「最近、景気が悪くなってきた」を記述するには、景気を判断するための指標が必要)

その「記述」ののちに、「分析」が行われる。 記述によって明らかになった実態や変化についてその原因を探る作業。「説明」とも呼ばれる。

2 記述より説明?(150)

「記述」をめぐる考え方の違い。

『創造の方法学』 社会科学の研究方法について、実体験をもとにやさしく説明されている。

「説明」と「記述」の違い

「記述的と言われたら侮辱」

歴史学者

なぜ「記述的と言われたら侮辱」なのか?

研究というのは記述を超えて、その先にある説明を目指すべきとだと教えられる。

3 「原因と結果」以外の説明(154)

因果推論 何かの結果に対する原因を特定したいような場合に 「条件をそろえて結果を比べる」ような実験を繰り返し、因果関係を特定するようなアプローチ。

自然科学も社会科学もこの因果推論の手法を洗練させ、たくさんの発見をしてきた。

説明することの目的は、他者に理解してもらうこと。 「AについてBさんに説明する」ことの目的は「AについてBさんが理解してもらうこと」。

高根先生の「説明」・・・原因と結果の関係を明らかにすること 著者の「説明」・・・原因と結果の関係を明らかにすること以外にもありうる

説明することと理解することは密接に関わっている。

4 親子関係の変化を説明する(160)

5 見えにくいところに光を当てる(163)

  • 社会の変化は、沢山の意図せざる結果によって起きている。
  • 社会は一見関係がないように見える要因の絡み合いの中にある。それらの要因を一つひとつ記述することで説明できる

「社会を記述する」

社会の説明は記述と密接に関係している。

社会を説明するときに、 「説明」の中に、原因と結果に関する考察は含まれるが、重要ではない。

説明の在り方は「原因と結果」の関係の追求以外にもありある。

因果関係の追求以外の説明の方法が体系化されておらず、社会をどのように説明・分析すべきかという入門書にも抜け落ちがち。

6 理論の意味(168)

私たちは、現実からいったん距離をおいて理屈で考えるということをよくやるがこれはなぜか? 社会学者が現実から距離を置いたモデル(【理論的なモデル】)を用いる理由はなにか?

それにはいくつか理由があるが*1、とくに重要なのは 「概念の定義の曖昧さを少なくし、演繹的な推論を行うことが可能になる」から。

なぜ科学者は明確な定義と演繹的推論を重要視するのか(171)

演繹的推論のメリット

  • 数理的なモデルを構築することで、自然言語で表現したときには見つからなかった意外な発見が出てくるから。例)反物質の存在予想、ナッシュ均衡
  • 誰がやっても同じになる(再現性)(172)

特に重要なのは「再現性」。これが保証されていないと、なんでもありの状態になってしまう。再現性を保証していくことで客観的な知識として共有できるようになる。 【再現性のある知識を積み重ねることで「わからない」世界を「わかる」ようにしていこうというアプローチ】

7 自然言語による「理論」(173)

現実世界は緩みを含んだ不安定な世界である。 このことから二つの考え方の立場をとることができる。

  • 現実が緩みにあふれているからこそ、距離をとって緩みのない土俵で勝負すべき => 科学のアプローチ
  • 多少の緩みを含みこんだ概念や理論も許容すべきだ => 多くの社会学のアプローチ

数理社会学という分野はあるが、 ほとんどの社会学は、演繹的推論が幅を利かせる範囲は小さい。

緩みのない理論は、「数式による理論」で表すことができ、 緩みを含んだ理論は、「言語による理論」で表される。

言語による理論の例としては、

  • 社会的地位は親から子へと受け継がれる(175)
  • 弱い紐帯をたくさんもっていたほうが仕事探しには有利(177)
  • 経済学における「情報の非対称性」という理論(179)

といったものがある。

8 「一回きり」でも理論?(180)

偶然の要素の絡み合いに焦点を当てて説明するのが目的であれば、 理論が説明する対象が、歴史的に一回きりのものであっても説明は十分成立する。

なぜ一回きりの出来事が発生するのか

個々の要因の動きが、法則的に予想ができるものであったとしても、 要因が無数に絡み合えば、それによって発生する出来事は無限に多様性を帯びてしまうから。

「社会の個々の要素が法則的に動く」と「社会全体が予想できる」ことは別の話。

第六章 不安定な世界との付き合い方

これまでの章では、現代の社会のあり方(1章、4章)、また、その社会に対して学問がどの様に対応してきたのか(2章、3章)を説明した。では私たちはどう対処したら良いか?ということを述べる章。

具体的なアドバイスとしては下記の二つを主張している。

  • 変化し続ける社会であるから「惰性と反省のバランスをとって生きる」べき
    • 惰性により不安を和らげ、安定した生活を送ることができるが、惰性の力が強すぎると変化が必要なときに対応できなくなる。
    • 反省し、社会を意図通りに作り変えようととしても、過度の要求と責任を人に負わせてしまうことになる。
  • 複雑な社会であるから「ミスは複合的要因で生じるから、ミスした人を安易に責めない」べき
    • (ミスに限らず)個人への責任追及が行き過ぎてしまうと、環境が個人に及ぼした影響を見落としてしまう。
    • 責任の判断の背景には何かしらの理屈があるが、理屈に含まれる緩さを利用して相手を非難し続けるのではなく、議論に必要な論点を増やすべき。

1 「不安定さ」と「意味のなさ」(185)

複雑さを抑制する役目をもつ宗教

伝統的な社会では、社会の複雑さを抑制し、変化を押し止める力がある程度働いていた。

【宗教は複雑さを増さずに出来事を「説明」できるツールである。】

なにがよく説明できない出来事が生じたとき、人間を超えた存在(典型的には「神」)がそうしたのだと「説明」する。

宗教的権威が失われた現代社

宗教的な権威が失われた重要な要因の一つが資本主義の発達である。

産業革命期において、資本家は政府と離れて力を得てきた。 前近代国家の身分制度には宗教と伝統が正当化の理由として使われてきた。 それが近代になると、利潤追求の結果により階層が分けられた。 【利潤を追求するには、宗教的な考えよりも、自然科学的な考え方の方が有効だった。】

利潤追求のために、国境を越えて活動するようになると、ほかの宗教・習慣・価値観と触れる機会が増えてくる。 自分の信じる宗教が唯一ではないと知ると、宗教的権威が相対的に落ちてくる。

脱伝統・脱宗教により生じる二つの問題

脱伝統・脱宗教により「不安定さ」と「意味の喪失」という二つの問題に直面する

不安定さ

近代以降、不確定要素が減った分野は確かに存在するが(子供が無事に育つ確率など)、 資本主義的分業・交流を通じて社会がどんどん複雑になると、意図せざる結果が出てくることは避けがたいものになる。(金融危機、環境問題、感染症

【歴史的に人類は目の前の不確定要素を減らすために技術や制度を発達させてきたと思う。その結果社会より複雑になってしまっているとしたら、私たちはどうすればよいのか?と思ったが、人類は不確定要素を減らすためにのみ、新技術を発明するわけではない。車の開発とかは不確定要素を減らすための発明ではない。】

意味の喪失

なにか重要な問題が起きてしまったときに、その理由をわかりやすく説明してくれる仕組みがなくなってしまう。

現代社会の仕組みから導き出されるアドバイス

「不安定」で「意味」が喪失された現代社会で 行うべき二つのことが言える。それは

  • 惰性と反省のバランスをとって生きること
  • ミスは複合的要因で生じるから、ミスした人を安易に責めないこと

この二つのアドバイスにある程度従わないと社会全体はあまり良い方向には進まないだろう。

2 不安の中で生きること(189)

「惰性と反省のバランスをとって生きる」とはどうゆうことか

私たちは様々なリスクにさらされながら生活している。 そんな中で不安に苛まれずに生活できているのは、 不安を物理的に遮断し、心的に遮断しているから。とデギンズは述べた。

  • 物理的な遮断・・・不安を引き起こしうる情報に触れないこと → 「経験の隔離」
  • 心的な遮断・・・心の中で特定の情報を遮断したり、忘れたり、鈍感になったりすること → 「保護繭」

ルーティーンに従うことで、 「経験の隔離」を行うことや「保護繭」の中に入って不安を和らげることが可能になる。

しかし、ルーティンの中に閉じこもってしまうと、 意図せざる結果に飲み込まれてより深刻な事態を引き起こしてしまうかもしれない。

安定と変化を両立させなければならない

3 日常生活に潜むリスク(193)

「ミスは複合的要因で生じるから、ミスした人を安易に責めない」のはなぜか?

小さな偶然が重なりあって深刻な事態を招いてしまうことがある

例)「堀川波鼓」という浄瑠璃 江戸時代の侍の夫婦の話。妻のたねに「状況の偶然」と「小さな不幸」が積み重なり、たねが不義を働いてしまうという話。

失敗は誰にでも起こりうるものである。なので 失敗した人たちを非難する際には、その人が置かれていた状況をできる限り理解しようとしてからにする。

不運の蓄積によって生じた事故の責任追及が行き過ぎれば、事故を起こした人間の注意力不足のせいにしていしまう。 ほかの人が同じ王な環境に置かれたときに、同じような失敗を繰り返すことになる。

【責任を人に押し付けすぎると、環境による作用を見落としてしまう】

4 不安定な中の舵取り(197)

「惰性と反省のバランスをとって生きる」を社会の中で考える。

バランスが取れなくなった時にどんなことが起きるのか?

惰性の力が強くなるとき(198)

惰性の力により、不安を適度に忘れてしまうと、 変化が必要な時に変化に対して抵抗をしてしまい、結果的により不幸な状態に陥ってしまう 例)ひきこもりのケース。狭い世界での安定に過度にとらわれてしまった人たち。

反省の力が強くなるとき(200)

不安定な世の中を、無理矢理に自分の思い通りにしようとする 安定の重要さを蔑ろにして周囲の人を不幸にしてしまうかもしれない 例)中小規模の新興企業の会社が、自分の思い通りに会社を動かそうとしすぎて、働く人に過度の要求と責任を求めてしまう。

惰性と反省のバランスをとることからの逃避(199)

宗教が、生活・人生にある程度の意味と安心を与えてることは間違いない。 しかし、原理主義となると、他の宗教的価値の存在を認めなかったり、外部との接触を強く遮断することがある。 これは、外敵に安定性を与えてくれる存在を無理に求めてしまうことによって生じる現象である。

5 社会と安定(201)

「安定」と「変化」のバランスが崩れた時に何が起きるのか。

家族主義による少子化の例(「安定」に偏った例)(201)

家族主義の国・・・家族の役割を重くする国。子育てや介護は家族がやるべきだと考える。イタリア・スペイン・日本・韓国など

家族主義ではない国・・・家族の役割を軽くする国。子育てや介護は国全体で分かち合おうとする。スウェーデンなど

家族主義の国では気軽に家族を作れない。

日本では、1970年代くらいまでは条件そろっていたため家族主義でもうまく回っていた

  • 高齢の親世代の寿命が今ほど長くなく、きょうだいがたくさんいたため、一人当たりの介護負担が軽かった
  • 家族を支える男性稼ぎ手の雇用が安定していた。

これらの条件は今は失われているので、反省して新しい方針を出していく必要がある。 (政府が安定的な生活基盤をつくって、家族の負担を減らす。など)

安定した土台があるから不安定なことに取り組める(グローバル化の例)

ダニ・ロドリックの主張

政府が社会保障制度を通じて一定の安定性を国民に提供するからこそ、国民はグローバル化に異を唱えない。 国民生活のある程度の安定があるから、国として不安定な仕組み(グローバル化)にコミットできる

例)トランプ政権下では、グローバル化に異を唱える人から支持を受けていた。 アメリカは、政府が人々の生活の安定を保証する仕組みが乏しいため、経済的に「閉じこもる」ことが生活の安定に結びつくと考える人が増えた。

6 どこまで責任を負わすのか?(205)

「ミスは複合的要因で生じるから、ミスした人を安易に責めない」を社会の中で考える。

私たちは、ちょっとしたことで事故を起こしたり、不幸な状況に陥ってしまったりする。だから、責任が明らかな場合でも、個人を責めるばかりでななく、寛容になるべき理由がある程度は残されていることが多い。(しかし、人は無限に責任を解除できるということを意味しているのではない) 【近年では、個人に寛容になるべき考え方・理屈が見落とされがちになっている。】

責任がどこにあるか?の判定・判断の背後には何かしらの考え方や理屈がある。

例)勉強が苦手でいい仕事に就けなかった。人付き合いが苦手で結婚できなかった。という場合

  • 「個人に責任がある」という判断
    • 「努力次第でなんとかなったはずだ。だから保障はなくてよい。」という考え方
  • 「個人に責任がない」という判断
    • 「努力も才能のうち。その才能は生まれつきか、育ちの中で得られたもの。だから努力できなかった人にも有る程度の保障はあるべきだ。」という考え方

その理屈(考え方)に対して 共感できる・できないは人それぞれ差があるが、理屈自体が理解できないという人は少ない。

【お互いの理屈同士が否定し合ってしまい、議論が進まないことがよくある。】

7 理屈と議論(208)

私たちが使う理屈や、それに基づいている判断基準は緩さを含んでいる。

理屈に緩さがある。それゆえ 緩さを活用して相手を否定することもできるし、 緩さを活用して議論に必要な論点を増やす(想像を膨らます)こともできる。

例)二人の学者のたとえ話(211)

理屈の緩さを利用して議論全体を豊かにすることができる。

緩さに対して、二つの道があることを意識するだけでも、社会に対する見方が変わる。

8 社会は「他でもあり得る」(213)

「緩さ」がもたらすポジティブな点。

社会の各要素は、緩さを含んでいるが故に、複雑に入り組んで分かりにくくなっている。 私たちが置かれたこの状況は、多数の要素の偶然の重なり具合で決まっている。 だから私たちが置かれたこの状況は常に「別様でもあり得た」。

社会の現実の在り方や、理解のあり方も「たまたま」の姿であって、強い意味での必然性はない。

社会を変えることは意図せざる結果をもたらすし、権力は人によっては不均衡である。しかし、 「社会は常に動かす余地があるし、社会の理解は多様でありうる。」という考え方はいつも持っておいてほしい。

【社会は思ったようには変えられないが、全く変わらないわけではない。私たちが起こした行動はすぐにレスポンスが得られるわけではないが、行動を起こし続けることで変化を起こせるかもしれない。(選挙とかの社会構造に対するアクションに関して。)】

感想とか

「わからない」社会に対する心構えだけあって、抽象的な概念も多く掴みどころがないような感覚に陥ってしまった。

私たちは、「専門家でもわかってないことがある」ことに意外と感じることが多いと思う。 私たちは分からないことがあったら、「自分が知らないから分からない」、「勉強していないから分からない」という感覚に陥ると思う。 それは裏を返せば「勉強すればわかる」とか「自分じゃない、頭のいい人にはわかる」ってことを心のどこかで思っているからではないか? 「勉強してもわからない」、「専門家でもわからない」ことはないものだと思ってしまっているような気がする。(自分も含め。)

それには今の教育の形も影響しているような気がする。 教師や教科書が私たちに、知識や考え方を教えてくれるが、 教える側(教師・教科書)が教える知識は正しいものという前提が崩れない中で教育が行われるから。 教える側が知らない・理解できない知識もあるはずだが、その知識は今日行くの場では議論されない。

「正しいとされる知識を可能な限り受け取る」という教育の仕方しかやってこなかったら、「専門家でも説明できない世界・現象がある」という考えにはたどりつきにくいと思う。

2022/05/19

100分で名著のブルデュー回を見て ブルデューが示したのは今の社会の仕組み。この社会に対して具体的にどうしたらよいか?の方法は示されていない。 変化し続ける社会の中では、一つの答えはその瞬間の最適解ではあるが、次の瞬間には最適解ではなくなっていく(「本書の中でも変化し続ける」とあるように)。

社会(他者)の見方を知った上で、どう行動すべきかは、その瞬間その地に居る人が考えなくてはならない。

*1:数理的なメカニズムでないと説明できないことがあったりする。例)FKモデル(170)